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ファーストアセンショナーへの道 仏弟子の方法論その26 煩悩=苦しみの原因者に気づく
イシュター・アンタレス著「意識の量子飛躍11:11アンタリオン転換」によると、イベント後にまずアセンションのファーストウェーブが起きるとされます。このアセンションのファーストウェーブを起こすにはアセンションへの準備が整っている1,000~2,000人のボランティアが必要とされます。
当然、自らの内に大量のネガティブエネルギーを抱えている状況では波動が重過ぎ、ファーストアセンションは困難です。自らの内のネガティブエネルギーを一掃し、光の存在としての準備が整っている必要があります。
ブッダは自らの内のネガティブエネルギー(煩悩)を一掃して悟りを得た存在(アセンデッドマスター)に至る方法を見出し、アセンデッドマスターとなりました。そして、悟りに至る道を体系化してその方法論を仏弟子たちに伝えました。
本連載では、ファーストアセンショナーを目指すみなさんに、ミャンマーの仏弟子ウ・ジョーティカ氏が記述した悟りに至る方法を紹介し、皆さんの内のネガティブエネルギーを一掃するお手伝いをしたいと思います。
第二十六回のテーマは煩悩=苦しみの原因者に気づくです。以下に、ウ・ジョーティカ氏の文章を引用します。
プロセス全体を経験するようにしてください。そのプロセスにおいて、あなたは好悪をもって反応するかも知れませんから、それにも気づいているように・・・。私はこの音が好きだとか、私はこの音が嫌いだとか、そんなふうに反応した時には常に、それにも気づいているようにしてください。
私たちの眼が快(楽)か不快(苦)かの感覚を経験することはありません。眼は、ただ中立(不苦不楽)の感覚を経験するだけです。しかし、見る際に私たちは解釈をして、それで好きだと感じた時は幸せを感じ、嫌いだと感じた時は不幸を感じます。これは眼識(眼の意識)ではなく、意識(心の意識)のはたらきです。そんなふうに私たちが解釈をせず、眼識のはたらきが止まるところまでとどまったならば、私たちは何らの快も不快も経験しません。全てが中立になるのです。何かを見た時、快いものも不快なものもない。解釈こそが、それに快や不快の性質を与えるのです。
(ウ・ジョーティカ著、魚川祐司訳「自由への旅「マインドフル瞑想」実践講義」新潮社の172ページから抜粋して引用)
はい、今回のウ・ジョーティカさんは法随観をやりながらですね、快と不快がどこから生じてくるのかを見極めようとしていますよ。
ウ・ジョーティカさんは快と不快は対象そのものではなく、自分の解釈から来ると言ってますね。
ちょっと、分かりやすくするために思考実験してみましょうか。
はい、目の前に腐りかけた動物の死体があります。なんか、ウジ虫がうじゃうじゃと蠢いてますね。匂いもすごいです。肉の腐った匂いがぷんぷんしてます。
想像してみてください。どうですか?こんなの見たいと思いますか?気持ち悪くないですか?吐き気がしてきませんか?実際に吐いちゃう人もいるかもしれません。
でもですね。こうなるのは腐乱死体のせいじゃないんですよ。
では、今度はみなさん、ハゲタカになってみてください。
ハゲタカさんは腐った肉が大好きです。先祖代々これを食料にできたから生き残ってこれたのです。
ハゲタカさんの普段の食料は腐った肉なんですから、腐乱死体を見たら大喜びです。もう食べたくて食べたくて仕方がない。どんどん死体に近づいて行って、美味しそうな匂いを満喫します。そしてぱくぱくぱくぱく美味しそうに食べちゃうんですね。
どうでしょう?
まとめてみましょうか。
人間さんの対象もハゲタカさんの対象も同じ腐乱死体です。
人間さんもハゲタカさんも見えているものは同じ腐乱死体の映像です。
人間さんもハゲタカさんも嗅いでいるのは同じ腐乱死体から発せられる匂い物質です。
人間さんはこれを見て思わず目を背けます。
ハゲタカさんはこれを見て大喜びです。
人間さんは匂いを嗅いで吐き気をもよおします。
ハゲタカさんは匂いを嗅いで大喜びです。
人間さんはこりゃたまらんわとそこから逃げ出します。
ハゲタカさんはご馳走にあずかれるとぴょんぴょんと死体に近づいて行きます。
どうです?人間さんやハゲタカさんに快や不快を起こしてるのは死体じゃないでしょ?
死体に対する解釈が人間さんとハゲタカさんの快や不快の気持ちの発生の原因だって、これで分かりますよね。
人間さんは先祖代々、死体なんかに近づくと伝染病にかかっちゃたりしてひどい目に遭った過去の経験が山ほどあるんで、死体に近づかないような解釈が生まれるように進化してきたんです。
ハゲタカさんは生存競争を勝ち抜くためにあまり他の動物が食べようとしなかった死体を食べるという選択をしたんで、死体を見るとご馳走だと解釈するように進化してきたんです。
本来快や不快の原因なんかじゃない対象に対峙すると、どんな生き物も過去の経験から解釈を知らず知らずのうちに導き出して、快や不快の気持ちになっているんです。
苦(ドゥッカ)も同じなんです。苦しみは解釈の結果なんです。
だからですね。解釈を組み替えてしまうことができれば、不快なんかなくせるんですよ。苦しみから脱却できるんですよ。
法随観を安定してできるようになるだけでも、だいぶ、快や不快が起きにくくなります。これが出来る人はまずぶち切れることはないです。パニックになることもないです。我を忘れるってことはないです。
悟りが近づいてきます。
ブッダさんはそういうことが可能になる瞑想法を編み出したんす。
ウ・ジョーティカさんはこれからそういう瞑想の仕方のアドバイスをどんどん詳しくしていきますので、お楽しみに!
Victory of the Light!
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