ファーストアセンショナーへの道 仏弟子の方法論その33 愛の組み換えと出来る出来ないを学ぶ

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ファーストアセンショナーへの道 仏弟子の方法論その33 愛の組み換えと出来る出来ないを学ぶ

イシュター・アンタレス著「意識の量子飛躍11:11アンタリオン転換」によると、イベント後にまずアセンションのファーストウェーブが起きるとされます。このアセンションのファーストウェーブを起こすにはアセンションへの準備が整っている1,000〜2,000人のボランティアが必要とされます。

当然、自らの内に大量のネガティブエネルギーを抱えている状況では波動が重過ぎ、ファーストアセンションは困難です。自らの内のネガティブエネルギーを一掃し、光の存在としての準備が整っている必要があります。

ブッダは自らの内のネガティブエネルギー(煩悩)を一掃して悟りを得た存在(アセンデッドマスター)に至る方法を見出し、アセンデッドマスターとなりました。そして、悟りに至る道を体系化してその方法論を仏弟子たちに伝えました。

本連載では、ファーストアセンショナーを目指すみなさんに、ミャンマーの仏弟子ウ・ジョーティカ氏が記述した悟りに至る方法を紹介し、皆さんの内のネガティブエネルギーを一掃するお手伝いをしたいと思います。

第三十三回のテーマは愛の組み換えと出来る出来ないを学ぶです。以下に、ウ・ジョーティカ氏の文章を引用します。

瞑想者が、精神的と物質的の現象が生じる原因を観察する縁接受智を育てていくと、その洞察智は真に強力なものになって、自動的にそれは前に進みます。その人は生成消滅と苦を観察し、そしてまた、そこにコントロールが存在しないことも観察します。これらの自然現象は、誰の願望にも従っていない。

彼らは全て亡くなりました。ブッダでさえ亡くなったのです。
彼らは自分自身が死ぬことを、止めることはできなかった。

「死ぬときは死ぬ、私は気にしない」
これは正しい態度ではありません。
自分自身をケアし、健康に保ちましょう。
長生きして、より多く学ぶのです。
私たちはこの人生に、とてもたくさんのものを投資している。
そこから最大の利益を引き出してください。

私たちは知ります。物事は生じては滅していく。私たちは「いま生じよ、そして滅するな」と言うことはできません。また「生ずるな」と言うことはできない。物事は生ずるのです。
(ウ・ジョーティカ著、魚川祐司訳「自由への旅「マインドフル瞑想」実践講義」新潮社の257~260ページから抜粋して引用)

ここまでは物質と感情の奴隷である「私1」から物質と感情の影響を超越している「私2」を分離し、「私2」の視点から「私1」と「対象」との相互作用を観察することを学びました。

昨日翻訳したヴェラの記事で三次元、四次元、五次元の違いをヴェラが解説していましたが、これらの特徴を簡単に一言で言ってしまうと、

三次元=物質
四次元=感情
五次元=理性(ただし、物質と感情から自由になっている神的理性であって物質と感情と絡み合った人間的理性ではない)

ということになると思います。

ヴェラが言っているように、三次元=物質界と四次元=感情界は闇の活動領域であって、この世界にいる限り闇の支配を受ける可能性があるわけです。

しかし、「私2」には私の経験からすると感情というものがまるでありません。とにかく冷静です。「私2」には物事の本質が淡々と一切の感情を混じえずに見えるのです。「私2」は五次元の自我なのです。ですから、「私2」には闇の勢力は近づけないのです。感情がないですから。

この「私2」に自我の重心を移して初めて、物質界と感情界に闇の勢力が仕込んだ罠の本質とこれに対する対抗手段が見えてくるのです。

ヴェラも言っているように五次元は無条件の愛の世界なのですが、私が思うに、この無条件の愛は善人にも悪人にも分け隔てなく行使できるものなのですが、三次元、四次元に自我の重心がある人にとっては「上から目線でとても冷たい」印象を受けるのだと思っています。

ですから、一旦五次元に行って闇の勢力からの影響力から逃れてその手口を十分理解することがまず肝要であると。

そのあと、三次元、四次元の人たちにお役に立つために、闇の支配から脱したままいかに物質と感情を使うかを学ぶことが次のステップになると思います。

で、「無条件の愛」の洗礼によって「条件付きの愛」(私たちが普段使っている愛です)の闇的な部分を除去してしまって「シンプルな愛」にしてしまってこれを使いこなしてこそみんなが幸せになれるのだと思います。

で、ここまでで「私2」とはいかなるものか解説させていただきましたが、ここからは「縁接受智」の解説に入ります。「名色分離智」では物事の認識というのは「名」=精神と「色」=物質とで成り立っていることを学んだわけですが、「縁接受智」では「名」とはいかなるものか?「色」とはいかなるものか?を闇の影響を受けない「私2」を使って調べていくことになります。

過去記事では「名」の作用について多く語ってきたので、今日は「色」の方を中心に語りたいと思います。

物質界を観察していて気づくのは必ずエラーが起きる世界ですね。工場で品物を製造していると歩留まり100%は無理なのです。必ず不良品が出てきます。どんなに不良品ゼロを目指しても不良品が出てくる。

また、形あるものは必ず壊れるものだということも理解できます。

だから、物質的身体には生まれながらの身体障害や精神障害があるし、筋ジストロフィーや筋委縮性側索硬化症のような遺伝性の致死的病気がある。

またどんな人間でも肉体的死は避けて通れない。

過去記事でお話したように、「名」の方は枠組みの全面的な再構築が可能ですが、「色」の方は完全な物理法則に従って変転万化するもので我々にはいかようにもしようがないものがある。

「自分で出来ることと出来ないことを見極めて出来ないことを変えようと無駄な時間を費やすことはない。自分が変えられるところは変えて、変えられないところはありのままに受け入れて無駄なくよりよい人生を歩みましょう。」これがウ・ジョーティカさんのここでのメッセージかなと思います。

あとは、以前、イエス・キリストのタラントの喩えをお話ししたと思いますが、神の視点では天賦の才能を用いてそれの何倍のアウトプットを上げたかを評価するのであって、アウトプットそのものを評価するわけではないということです。

天賦の才能自体は「色」であって我々は変えようがありません。

しかし、それを最大限に生かすのは我々の「名」次第なのです。

障害を抱えた方がそこそこの成果を上げた場合と五体満足の方がそこそこの成果を上げた場合では、前者の方がはるかに沢山の徳を天に積んでいることになるのです。

あなたが天賦の才能に恵まれていなくても気にする必要はないのです。

恵まれていない才能を最大限活かすことだけを考えればよいのです。

そうすればあなたは、天賦の才能に恵まれた人よりはるかに沢山、天に徳を積むことになるのです。

本日は「愛」の発展的改造の仕方と「できる範囲を見極め、できる範囲で精いっぱい生きていく。」についてお話しさせていただきました。

Victory of the Light!

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