ファーストアセンショナーへの道 仏弟子の方法論その21 有為の幻想と無為の現実に気づく

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ファーストアセンショナーへの道 仏弟子の方法論その21 有為の幻想と無為の現実に気づく

イシュター・アンタレス著「意識の量子飛躍11:11アンタリオン転換」によると、イベント後にまずアセンションのファーストウェーブが起きるとされます。このアセンションのファーストウェーブを起こすにはアセンションへの準備が整っている1,000〜2,000人のボランティアが必要とされます。

当然、自らの内に大量のネガティブエネルギーを抱えている状況では波動が重過ぎ、ファーストアセンションは困難です。自らの内のネガティブエネルギーを一掃し、光の存在としての準備が整っている必要があります。

ブッダは自らの内のネガティブエネルギー(煩悩)を一掃して悟りを得た存在(アセンデッドマスター)に至る方法を見出し、アセンデッドマスターとなりました。そして、悟りに至る道を体系化してその方法論を仏弟子たちに伝えました。

本連載では、ファーストアセンショナーを目指すみなさんに、ミャンマーの仏弟子ウ・ジョーティカ氏が記述した悟りに至る方法を紹介し、皆さんの内のネガティブエネルギーを一掃するお手伝いをしたいと思います。

第二十一回のテーマは有為の幻想と無為の現実に気づくです。以下に、ウ・ジョーティカ氏の文章を引用します。

「私は幸せだ。私は安らいでいる」とただ想像することで、あなたは自分自身を騙すことができるでしょう。しかし、それ以上進むことはできません。あなたはただ想像しているだけで、それは現実ではないからです。

気づきは鏡のようなもの
気づきはただそこにある。
何かに気づこうとするわけでなく・・・。ただそこにあるのです。
まるで大きな鏡のように、その前を通るものは全て、鏡の中に映し出される。
鏡が対象を捉えようとするわけではないのです。

対象は通り過ぎ、感覚は生起する。鏡は自動的にそれに気づき、そしてそれは去って行くのです。気づきはただそこにある。あなたは何もしていないのです。この段階において、瞑想とはあなたが行うものではありません。瞑想とは自然に生じているものなのです。
(ウ・ジョーティカ著、魚川祐司訳「自由への旅「マインドフル瞑想」実践講義」新潮社の124、140~141より抜粋して引用)

あなたは死を恐れています。消えてなくなることを恐れています。いつも怖いのです。不安なのです。

だから、安心しようと何かを求めて外界へとさまよい出ます。

そこであなたは何かを見出します。自分の恐怖をなだめてくれそうな何かを。

そういう自分のとって都合のよいものだけをあなたは外界から切り取って、そして、抱きしめてこう言うのです。「私は幸せだ。私は安らいでいる。」

しかし、そんなところに真の安寧はないのです。それはやがて消えていきます。「私は幸せだ。私は安らいでいる。」はすぐに消えていくものなのです。そして、あなたはまた探しに出なければならない。

真の安寧を得るためには、涅槃に至るには、恐怖のゆえに不安のゆえに何かを探しに行ってそれを得るという世界観、「有為」の世界の他に別の世界があることに気づく必要があるのです。

あなたが対象を得ようとしない時、ただありのままにそれを観察しようとする時、対象はただただ去っていきます。ただ気づいているだけ。あなたは何もしていない。

そう、これが別の世界観、「無為」です。

「無為」の世界にあって初めて、あなたは今まで知らなかった様々にことに気づけるようになるのです。

恐怖や不安や怒りや憎しみや軽蔑や嫉妬の根源である「苦」の有様を見抜き、真の安寧に至るスタートラインに立つことができるのです。

ありのままを感じていかなるジャジメントをしない「無為」の世界に気づいてください。その「無為」に遊んでください。

「有為」と「無為」とでどちらが心穏やかですか?

感じてみてください。あなたの心の内に聞いてください。

そうやって「苦」から自由になる旅路は始まるのです。

Victory of the Light!

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